しばらくこちらに書くことを控えておりました。というのも自分は大きな転機の真っ最中で、それどころではなかったというのが正直なところ・・・
実はいろいろ考えた末に転職すること決意し、先週末を持って前職を退職、そして月曜日に新職場に入社したのです。自分にとってはこれはこれで大きな出来事だったのですが、金曜日の惨事と比べれば小さなものです。
金曜日、地震が大きくなってきたその時、ちょうど会社では大勢のお客様が来社され、大きめの会議室でセミナーが始まって間もないころでした。(自分はデモなどのお手伝いということで部屋の最後部で待機の身でした。) また地震か くらいに思っていたのですが、揺れは止まらず、ますます大きく・・ そのうちプロジェクタが揺れだし画面が動いてスピーカーもやっと気づきました。あまりに激しいのでセミナーは中断、天井から釣ってあるプロジェクターやディスプレイの下の席には場所を移動してもらいました。参加者の目線はそれぞれの手元の携帯のニュースなど。講師のパソコンで地震速報のサイトが映しだされました。 ゆれはさらに大きくなり、たっていてもはっきり分かります。館内放送も流れ、エレベーターの使用中止がアナウンスされ、非難については追ってガイドするようなことを言っていたかと思います。その後まもなく主催側のすばやい判断でセミナーは中止することが参加者に伝えられ、早く避難することを希望する人は非常階段へ案内、それ以外の人は部屋に待機です。自分は一部のお客様と一緒に一度階段で下に降りました。ビルの警備の方がスムーズに人を避難所に誘導しており、また状況をメガホンで皆に伝えてくれていました。受付などを担当されていたスタッフとも合流、上の状況を伝えます。こんな時、電話はほとんど使い物になりません。27Fのメンバーとの間はgmailです。iPhoneのデータ通信網ななの問題もなく、メールでやりとりをしてました。結局16時前にはすべてのお客様は避難され、スタッフも順次退散となりました。自分は一度上に上がって荷物を持って家族との合流の旅にでました。
幸い、家族の安否は早い段階で確認が取れていたので、まずは合流することに専念です。当然のように地下鉄は動いてないし、車も拾える状況ではありません。というわけで、勤め先の六本木から二子玉川まで歩きです。助かったのは道がすごく分かりやすいこと。ほぼ一本道です。gmailやSkypeのチャットで家と連絡を取りながら早足でとにかく歩きます。結局11キロ強の道のりを2時間ちょうどくらいで移動でき、無事家族と会うことができました。 家の中はというと、食器棚が倒れた中身が大きなダメージを受けたものの、それ以外は大きな問題がありません。急いで実家などに連絡を取ろうにも返事がありません。ニュースで横浜のその一帯は停電とのこと。返事がないわけです。親のスケジュールもGoogleカレンダーで共有していたのでそれを確認すると、なんと父は祖父母のところに行ってるではないですか・・・。ということは母は停電の中一人。性格からするとパニックしているに違いない というわけで家と娘二人を妻に託し、実家に行くことに。
実家までは約10km。六本木から歩いてきているので電車も車も動けないことは明確です。ということでチャリ。いやー、チャリはほんと最強でした。とにかくこいでこいで実家へ。車の何倍も早かったでしょうね。ゴールデンウィークの渋滞の横をすいすい抜けていくバイクの気分です。(もちろん、そんなウキウキしている余裕はないですが・・) 実家に近づいてきたところ、246の新石川交差点から突如、真っ暗闇です。そう、その先は停電地帯だったんです。このあたりで夜とはいえ、この暗さは体験したことがありません。自転車のライト(ハロゲンの明るいのにしていてよかった) を頼りに進みます。実家のマンションは闇に包まれてましたが、ところどころに懐中電灯を手に動いている人がいるのが分かります。エレベーターは当然とまっているので、親が住む6Fまで自転車をかついで上っていきます。 ついたら案の定母親が一人で一生懸命音楽化何かで気を紛らわせながらベッドで寝込んでました。水とスナック菓子はあったみたいです。持ち込んだSoyJoyとか出しながら、まずは一安心。途中、祖父母のところにいっていた父はだいぶ前に実家に向かって出発しているという確認が取れていたので父が戻るまで待つことに。 電話も携帯(au)もぜんぜん使えない実家には持ち込んだiPad(3G)を置いていくことにしました。Skypeで連絡もとれるし、Webで情報も取れます。メールだってブラウザでみれるでしょう。実際Skypeで遠くの家族・親族と声が交わせると一気に安堵感が戻ります。 走行しているうちに父も戻ってきました。吉祥寺の方からバスと歩きでなんとか戻ってきたようです。 これで皆の安否が確認できたホッ。21時半くらいまでだったか一休みして家に帰ることにしました。
一日足を酷使していたのでこのときばかりはスローペース。国道246号線をひたすら上っていきます。車はやはりとまり、一番早いのがバイク、続いて自転車でした。向こうから歩いてくる人・人・人。皆何時にオフィス出たんだろう?どこから来たのだろう?そしてどこまで帰るのだろう?と思いながらも逆流してきます。これを見て、なんとか歩ける距離に会社も自宅も実家も子供の保育園もあるのはなんと安心なことか と本当に思いましたね。 途中、コンビニやマックは人であふれかえってました。自分も多摩川を渡ってもう少しで家 というところで、何かすぐに食べられるものをコンビニで買い込んで無事帰宅。家族とやっと安心した時間を過ごせました。
非常時に動く上で家族・親族との連絡手段と確保することは本当に大事ですね。以下、たすけてくれたものです:
- Gmail: 自分はプライベートも会社もGmail。家族もGmailつかってます。キャリヤの携帯メールが制限かかっていたのかあまりつながらないときであっても、何の問題もなく使えました。
- Skype: 音声もですが、チャットもかなり多様。iPhone4のマルチタスク対応になっているのが非常に助かりました。バックグラウンドでチャットを受けてもすぐわかります。
- Facebook: 友人との情報交換や安否確認は多くがfbで行われてました。自分にとっては、Twitterはノイズが多すぎて知人中心のfbの方を使ってましたね。何か調べたいときにはTwitterもよかったのかもしれません
- Google Maps: 連絡手段ではないですが、方向音痴の自分には大事なツールです
- Sanyo モバイルブースター: 携帯機器を充電できる電池パック。電池の消耗がはげしくなってきてしまっているiPhoneを安心して使うには電池容量の確保が大事。これは持っておいて損はないですね。
- 自転車: 連絡がつかなかったら自分で行くしかありません。東京はそんなに大きくない場所。車でなくても動けばちゃんと着けます。でも歩くのはかなり大変。自転車が大きな機動力をくれました。会社で足元に折りたたみ式の置いておきたいくらい。
電池パックや自転車はちょっと違いますが、とにかくモバイル機器、クラウドサービス、ソーシャルメディアに救われました。冒頭に触れたとおり転職をしたのですが、今度の仕事はこうしたクラウドサービスを提供する会社です。いざというときにきちんと広く世のため人のために役に立つサービスを提供する会社に身を置いているということを誇りに思った日でもありました。
そして会社の人たちの取り組みはとどまることを知りませんでした。自分が自分の家族を中心に動いていた中、会社に残って下記サービスを立ち上げていた人たちがいたのです。メールでそのことを知ったときには鳥肌ものでした。すごいサービスがあるだけじゃなく、すごい人たちがいる。そこに加われるようにならねば。
http://japan.person-finder.appspot.com/
うちだけでなく、今各ITベンダーが震災へのいろいろな形での支援をソーシャルメディアを活用して展開していますね。重要なWebサイトを動かすインフラを提供したり、サービスの移転先サーバーを提供したり。 クラウドの柔軟性・スピード感がこれほど人の命に直結して活躍したことはないのではないかと思います。
一日で起こったことを戻すにはきっと今後何年もかかります。何か自分なりのお手伝いできることを探して貢献できればと思います。